創業70年『できたてポテトチップ』の有限会社菊水堂 連載第1回(全6回)

語り継ぐ「美味しいモノ作り」

有限会社 菊水堂

代表取締役社長 岩井菊之氏 営業部長 岩井太一氏

 原材料は馬鈴しょ、塩、油のみという、シンプルな『できたてポテトチップ』を看板にする菊水堂は、湖池屋と並ぶポテチ業界の老舗。業界で一目置かれる存在だ。原材料にこだわり、独自の「直火」装置による製法を貫く、菊水堂の半端ないモノ作りへの情熱を、近年多くのマスコミが注目し話題にしている。その菊水堂の2代目岩井菊之社長の長男太一氏(31歳)が、昨年2月に入社し、営業部長として社業の一翼を担いだした。新世代に伝承される菊水堂の“モノ作り”にスポットを当てる。

3代目への道

 「菓子屋にする気は毛頭なかった」と、岩井菊之社長は語った。

 昨年9月に長男の太一氏から、「大正製薬を辞めて、菊水堂で仕事をしたい」と相談があった。カエルの子はカエルの譬えではないが、父の菊之社長とその長男の太一氏の足跡はよく似ている。菊之社長は東京薬科大学を卒業した薬剤師。太一氏も慶應義塾大学の薬学部卒業で、薬剤師免許を取得している。

 菊之社長は菊水堂の創業者である清吉氏に、菊水堂に入るとの約束をしていたが、大学卒業後、社会勉強のため、世界最古といわれる製薬会社メルク(日本メルク万有=現MSD)で営業を経験し、さらに、薬学の“狭い世界を感じていたことから、入社の前に“お菓子の本質を知るため”に、製菓学校に通った経歴の持主だ。

 営業をやってみたいと、大学卒業後、大正製薬の子会社に就職した太一氏から、一昨年の暮れに、菊水堂への入社の意思を伝えられた菊之社長は「その気持ちは分かった。私自身もメルクで、いろいろな経験をしたが長くはいなかった。大型船の船長には中々なれないが、小さな船なら…でも“会社に入るのは良いが、その前にやりたいことはないの?”と太一にきいた」

 菊之社長の場合は、製菓学校を終えて会社に入るというと、創業者で父の清吉氏は「何で今さら」といったという。というのは、瓦煎餅で創業し、湖池屋と前後して、1964年にポテトチップの製造を開始したが『かっぱえびせん』で成功したカルビーが、1970年にポテチ市場に参入し、ポテチ市場は当初大いに活性化したものの、5年ほど経つとマーケットは飽和し、熾烈な価格競争の時代に入っていたからだ。菊之社長が製菓学校を卒業し、菊水堂に入社した84年当時、菊水堂は累積赤字に悩んでいたのである。

 「父から、今さら…といわれたが、約束だからね、と私は応えました(笑)。また、支援をしてくれていた伯父からも、菊水堂をたたむ覚悟で入るのだな?!と念を押されたものでした」

 菊之社長27歳の決意であった。苦難の時代を乗り切り、規模は小粒ながらも、美味しさと品質で、シッカリと支持者を掴む今の菊水堂だが、菊之社長は太一氏に、

 「いつ辞めても良いよ。また、菊水堂に縛られることなく、サイドビジネスをしてもいい」と、付け加えて、迎え入れた。

 創業者の清吉氏と2代目の時代では、経営状況やマーケットに大きな隔たりがあるが、一貫しているのは、飽くなき“美味しさ”の追求だ。それは創業者清吉氏が貫いたメーカーとしての矜持であり、菊之社長の揺るがぬポリシーでもある。曰く「美味しさは素材で決まる」「マネはされてもマネはしない」。            

(次号へ続く)

■岩井太一氏プロフィール■ 

1991年12月2日生まれ(31歳)、慶應義塾大学薬学部を2016年に卒業(薬剤師免許取得)後、営業職に就きたいと考え、大正製薬の子会社の大正富山医薬品㈱(現大正ファーマ)に入社。医療用医薬品の営業(2年)から人事部で新卒採用担当(1年)。その後、本社の大正製薬に転籍。2019年から人材開発部で新卒採用担当(1年)、2020年にプロダクトマネジメント部に移り、医療用新薬のマーケティングを担当(2年)し、2022年1月末退職。同年2月菊水堂に入社し、同4月慶應義塾大学大学院経営管理研究科に入学。マーケティング、ファイナンス、会計などを学び、今年から会計ゼミに所属して、MBA取得のため「長寿企業の財務・非財務的特徴について」(仮題)のテーマで研究中。