トップインタビュー 株式会社マスダック

マスダック新時代へ!!

増田文治会長に聞く その①(連載第1回・全4回)

 製菓製パン機械メーカー界のリーディングカンパニーの㈱マスダックが、今年6月に役員人事を行った。創業家2代目の増田文治氏(写真右)が代表取締役会長に就き、2020年に迎えた奥田信夫氏(写真左)に、3代目の代表取締役社長を委ねることとなった。2019年に同社は、持株会社の㈱マスダックホールディングスを㈱マスダックと改称。同時に、機械事業を㈱マスダックマシナリーとし、18年に設立した㈱マスダック東京ばな奈ファクトリーとともに子会社にした。また、マシン製造の新拠点入間工場を18年に竣工し、翌19年には食品工場の三期工事を完了している。この5年間の間に、大きく様相を変えたマスダックは今、「第三創業期」として何を目指すのか。経営TOP二人にマイクを向けた。

 

時代の「変化」に立ち向かう世代交代

 創業家2代目の増田文治氏の父である増田文彦氏(19年逝去)が、新日本機械工業株式会社を創設し、「全自動どら焼機」をはじめ、製菓機械の製造を開始したのは1957(昭和32)年である。

 「当時はまだまだ戦後の物不足の時代で、和菓子や菓子パンなど、日本独自のアイテムを作る機械がなかった。さまざまなアイディアで機械を作り、業容を拡大してきたのが第1創業期。バブル崩壊後、1999年に私が45歳で社長になった頃は金融危機などもあって、戦後の高度成長期からガラッと世の中が変わりだした頃でした。成長戦略なども大量生産時代の“作ればよいというものではダメで、みなが“このままではイカンねと、考えなければならない時代になった。例えば、食品の安全や安心が強く求められるようになり、機械メーカーでもユーザーフレンドリーな製品の提供が求められだした。操作面でも扱いやすく、安全に使えるとか、製品製造の衛生面、殺菌や清掃のしやすさなどですね。そういう時代変化の中、従来の機械の製造でも、新しい機械や機能を開発するというより、一つ一つを深めていかなければならないと、私は考え進めました。主力の『オーブン』『充填機』、どら焼などの『直焼焼成機』の3つの分野に特化して、性能面の深化を進めたわけです」

 同時に、国内から世界マーケットへと、マスダック製品のグローバル展開(2004年マスダックヨーロッパ=現マスダックインターナショナル開設)にも着手した。

 「今ではグローバル展開は当たり前になりましたが、同時に情報化の時代にもなっていった。過去の経験が通用しにくくなり、また業界の2極分化も進みだした。昨今、神戸屋さんの包装パンが山崎製パンさんに買収され、また、この間のコロナ禍でシャトレーゼさんが巣ごもり消費もあって、年商を500億円規模から1千億円台へと成長するなど、変化はますます激しくなってきました。ことに最近ではDX(デジタルトランスフォーメーション)の推進など…」と、語る。

 

奥田氏との出会い

 ITやデジタル技術を活用して、顧客や社会のニーズを基に、製品、サービスだけでなく、ビジネスモデルも変革していく時代では、これまで蓄積してきた経験、知見、ノウハウだけでは解決できない問題が山積しているのだろうと、増田氏。

 「以前から弊社ではヘッドハンティングなどで、部門のスペシャリストを獲得してきました。同時に、私自身の後継者をどうするのかも、予てからのテーマでした。私の息子も社業に就いているのですが、まだ30代と若い。激動の時代を迎えて、どなたか私の後を務めてくれる方はいないかと、実は以前から考えていたのです。

 そこへある方から奥田さんを紹介された。2年前の夏でした。履歴を見ると素晴らしい業績をお持ちで“ウチに来るレベルではないな、と思った(笑)。その後、奥田さんからパワーポイントで作った10数ページのレジュメが送られてきて、びっくりしました。弊社の情報も限られていたにも関わらず、よく研究されていて、弊社の問題点や解決策、それと提案が的確にまとめられていた。それで、これはお会いしなくては」と、時を置かず来社を要請した。

 2年前はコロナ禍の初年で、東京ばな奈ファクトリーの業績も打撃を受けていたさなかだ。

 「こんな状態ですが如何ですか?と問うと、奥田さんは、益々、闘志が湧きましたと、力強く応えてくれました。弊社は18年に、東京ばな奈(OEM)とマシナリーを子会社化しましたが、その頃から、これまでのやり方ではダメだと考えていたので、奥田さんの登場は大げさにいえば“神様が降りてきた」ようなもので、何が何でも入社してもらおうと強く思ったと、明かした。

         (次号に続く)