理系男子、三代目を襲名‼
長野県飯山市で創業72年を迎える米持製菓といえば、細物かりん糖で有名だ。地元信州産小麦粉を使用し、業界初の水を使わず牛乳100%で練りあげた生地の『牛乳かりんとう』や、信州りんごと信州産小麦粉の『りんご狩んとう』(第25回全国菓子大博覧会金賞受賞)などが看板。
長野県北部の飯山市は、野沢菜とウインタースポーツのメッカであり、小さな町だが古刹の多い町として知られる。その地で昭和25(1950)年に、今日の米持製菓の創業者米持森親氏が、製菓店の看板を掲げ、芋飴や煎餅加工を始めた。かりん糖がメインになるのは、2代目の米持護現会長が、社長に就任以降。現在は主業のかりん糖製造の他、アイスクリームの卸も手がけている。
昨年9月に、3代目社長に就任した米持昭太郎社長(48歳)は、横浜に本拠を置く神奈川大学工学部で電気工学を専攻し、卒業後IT企業でシステムエンジニアとして働いた経歴の持ち主。銀行や大手企業のITシステムを構築する企業で、6年ほど働き30歳の節目に飯山に帰省した。家業の米持製菓に入社して、17年目の昨秋9月に社長に就任した。
「登記簿では決算年度の関係で、半年前の4月になってます」と、サラリと語る。企業後継者といえば、経営学や商学部というのが相場だが、理系男子の3代目社長である。自ら、
「変わり者が多いといわれる理系です(笑)。工学部に進学したのは、理数系が得意ということと、機械を使う家業では〝いつか役に立つ〟との思いがあったから」だ。その言葉には、会社のある飯山市では故障やメンテナンスでも「なかなか機械屋さんに来てもらえない」事情も含まれている。
しかし、青少年期の昭太郎社長には、しかとした跡継ぎとしての自覚があったわけではない。
「会長に連れられて、お客さんのところへ行くと、子どもの頃から“立派な後継者がいて良いね”といわれてきたし、取締役や専務になったのも、お客さんからいわれて。直接、会長から跡を継げといわれたことはないので、そうやって〝洗脳〟されていたんでしょうか」と、冗談めかして笑う。
取締役に就任したのは、会社に入って3、4年経った頃だった。昭太郎社長は、2代目で父の米持護会長の長男。姉と妹に挟まれた一人息子であったから、いつかは家業を継ぐ、という思いは心の隅に形成されていた。
米持社長が専務から、社長に就任したのは昨年の9月頃。“頃”というのも「ウチには役職という概念がない」からと笑う。肩書や役職に重きを置かないのは、米持流のリアリズムらしい。
かりん糖の製造工程は、大きくいって生地発酵、揚げ、蜜掛けだが、シンプルなかりん糖作りや、商売の奥深さに、3代目は社長に就任して真剣に向き合いだした。
(次号5542へ続く・全2回)
★プロフィール★ 1973年7月23日生まれ、米持護会長の長男(姉妹あり) 地元の県立飯山北高校(現飯山高校)卒業後、神奈川大学工学部に進学し電気工学を専攻。卒業後、IT企業に就職し、システムエンジニアとして、銀行やリクルート、関電工などのシステム作りに従事。30歳(2003年)の年に退職し、製パン学校の研修コース(3カ月)で学び、修了後、米持製菓入社。学生時代から手伝ってきた製造現場に入る。3年ほどの後、得意先からのアドバイスで取締役、その後、専務に。昨年2021年9月に3代目社長に就任。