【シリーズ 継往開来】 堂本製菓株式会社 代表取締役 堂本典希 氏 ②

 継往開来~堂本製菓編の第2回。三代目社長の父・清一さんのもと、堂本製菓は高度経済成長の波にも乗り、売上も規模も大きく拡大していく。そして2006年(平成18年)、清一氏の死去に伴い、いよいよその長女である典希氏が四代目の社長に就任。その奮闘記と併せて、銘菓『大師巻』誕生秘話を紹介する。(全3回)

『大師巻』が全国大ヒット!

 何があっても原料と

 味の品質は下げない

 

 本紙 名跡「四代目六左衛門」を継ぐのは既定の事実だったのですか。

 堂本典希社長(以下、社長) いいえ。父は生前「後継者は皆で協議して決めることだ」と言っていました。父の死後、叔母が「社長やるよね」と私に尋ねました。あまり深く考えないで首を縦に振った記憶があります。父とともに堂本製菓を支えてくれた叔父たちも周囲に異議のないことを確認してくれました。

 ――正式に就任された時はどのような思いが。

 社長 いまもそうですが、私は「いいとこ取りの四代目だな」と思っています。父も含めた先代たちが心血を注いで築いてくれた「大きな財産」の上に私がいる。その路線を真っ正直に歩むだけだからです。しかし社長に就任した当時の会社は大変な状況でした。というのも、70年代の初頭に同業者と協同組合形式で大規模な煎餅生地工場を作りましたが、ようやく稼働にこぎつけた矢先、その時の「実力ナンバーワンの会社」が突然手を引いてしまう事態に見舞われます。結果、負債だけが残り、そのまま重荷になっていたからです。まさに逆風状態でした。しかし、もともと自立心が旺盛だったので、逆に闘志がムクムク湧いてきて「なるようになる」との思いが立ちました,。

 ――先代の清一社長はどのような方でしたか。

 社長 父は27歳で家督を継ぎ、三代目として60年以上もの間、会社経営の実務にあたってきましたが、根っこは「職人気質の塊」のような人でした。父からはたくさんのことを学びましたが、いまも一番印象に残っているのは「何があっても原料の質を落とさない」というこだわりです…

【続きは5456号8面へ】

写真上・昼過ぎに「売切御免」となるアトレ川崎店

写真・堂本のロゴ入り包み紙