本紙独占取材! 三幸製菓の心臓部を本邦初公開!!

生地は米菓の『いのち』

三幸製菓がその『心臓部』を本邦初公開!

 米菓業界でいまや年間売上高600億円に迫る勢いの三幸製菓。その三幸製菓では既報(2019年秋の特別号)の通り、一昨年末に市場投入した『ミックスかりんとう』が絶好調をキープしている。そのかりんとうの生産拠点でもある新発田工場に昨年9月、うるち米専用の生地工場が新しく完成した。米菓メーカーにとって生地は「命」ともいえる存在だ。その心臓部である新工場を本邦初公開、本紙だけに独占取材の機会が与えられた。

写真上=三幸製菓の中でも抜群の生産効率を誇る新発田工場の全景。人口の多い新発田市と交通アクセスの良さという立地条件から、ここが将来の基幹工場となる可能性も高い

新発田工場の概要

敷地:約1万9000坪 主力製品:新潟仕込み(醤油味、塩味、のり塩味)、柿の種、サラダせん、醤油せん、海老せん、塩揚げおかき、ミックスかりんとう、かりかりツイスト、ミルクかりんとう、黒糖かりんとう 従業員数:約100名 生産能力:年間約130億円 操業開始時:第一工場(2009年)、第二工場(2014年)、第三工場(2011年)

  うるち米の生地を月産40万ケース

 

 三幸製菓(本社・新潟市)の設立は1962年(昭和37年)で、米菓王国・新潟にあっては最後発のメーカーだ。しかし、創業者の佐藤富一郎名誉会長の徹底した合理化生産方式とカリスマ経営により、いまや業界トップの亀田製菓の後を追う名実ともに国内を代表する米菓メーカーへと成長した。

 三幸製菓は現在、県内に三つの工場を抱える。

一つはミニサラダやチーズアーモンドを生産する新崎工場(新潟市)、雪の宿サラダやおかき餅、磯めぐりなどの主力製品を生産する荒川工場(村上市)、そして、柿の種やサラダせんなどを生産するのが今回紹介する新発田 工場(新発田市)である。

 新発田工場の敷地面積は約1万9000坪を誇り、東京ドーム一個分がすっぽり入る大きさだ。敷地内に第一工場、第二工場、第三工場がある。

 今回、初公開となる新たな生地工場はこの9月から稼働。米菓にとって「命」ともいえるうるち米の生地の生産拠点となる。生産能力は月ベースで約40万ケースを誇る。いちばんの特徴はIoTの導入だ。モーターなどの細かい部品について人間では感知できないような異常や予兆を常時センサーが監視する。

 

IoT導入など最先端の生地工場

  設計段階から生地工場の建設に関わった同社の玉川勝之・執行役員生産部長は「省人化と生産効率の向上は、三幸製菓にとって永遠の課題です。その意味でもIoTの導入は良かったですね」と話す… 

【続きは2020年新年特大号 5444号 26頁へ】

写真上は外観も真新しい生地工場。ここで三幸製菓の多くの製品のうるち米生地が生まれる。(月産40万ケース)

佐藤元保社長にきく

「三つの幸せ」を実現する魅力あふれる企業にしたい!

 本紙 佐藤社長は一昨年に三幸製菓の生産部門を担う(株)三幸の社長に就任、その後、創業者であり、父親でもある佐藤富一郎会長(現名誉会長)の退任を受けて、三幸製菓グループの代表に就き、いまは両社を統括される立場にあります。佐藤会長はいわば業界のカリスマ的な存在であり、その跡を継ぐのは正直、相当な覚悟がいったかと思います。いかがですか。

 佐藤 前会長は「仕事の鬼」とでも表現すべき人で、とにかく「美味しい米菓を多くのお客さまに届けたい」という思いがとても強い人でした。それはまさに執念に近かった。経営手法も徹底した合理主義を貫き通しました。米菓王国・新潟にあって最後発メーカーでありながら、いまや業界トップの亀田製菓さんに次ぐ地位に押し上げたのは、まぎれもなく前会長の功績です。その後を継ぐわけですから正直、プレッシャーがないといえばウソになります。しかし、私は会長とは性格も異なるし、会長の真似をしようとは思いません(笑)。

 

 私が考える「3つの幸せ」とは

  ――新社長として、三幸製菓をどのように牽引したいとお考えですか。

 佐藤 私は以前から三幸製菓の「三幸」という意味について、ずっと真剣に向き合ってきました。三幸とは三つの幸せと書きますよね。一つはお客さまに対する幸せ。二つ目がお取引先さまに対する幸せ。そして三つ目が会社と社員の幸せです。ホームページに掲げてある通り、弊社はこの「三つの幸せ」の実現を創業以来、めざし続けてきました。これが弊社が一貫してこだわってきた基本ポリシーなのです。それをさらに深化させていくことが、私に課せられた最初の大きな使命だと認識しています…

【続きは2020年新年特大号 5444号 28頁へ】

かりんとうに新たな息吹を

~売上絶好調の『ミックスかりんとう』

 三幸製菓の『黒糖とミルクのかりんとう』と『ミックスかりんとう』(写真左)の躍進は、かりんとう業界にとって「大きな刺激とインパクト」をもたらした。開発責任者として終始リードし、昨年9月まで企画開発室長だった佐藤博久取締役製造本部長にきいた。

 本紙 2011年に出した『黒糖かりんとう』は三幸製菓におけるかりんとう参入の「はじめの一歩」でした。しかし、三幸製菓といえばやはり米菓ですよね。かりんとうに挑む理由は。

 佐藤 どの米菓メーカーも同様だと思いますが、人口減少時代へと入った日本では、米菓以外の多様な製品を供給していかないと、やがて業界全体が縮小してしまうという危機感が根底にありました。米菓とは違う新ジャンルのお菓子を三幸製菓の中で確立させていくことは、弊社の成長戦略の一つでもあります。そこで我々が着目したのがかりんとうでした。

 かりんとうは日本が誇る最古の伝統菓子と言われています。市場規模でいえば、米菓の10分1程度しかありませんが、それでもかりんとうの美味しさは「まだまだ広げられるのではないか」という読みがありました。かりんとうのユーザーは比較的、高齢層の方々が中心になっています。製品もそういう支持層を意識したものが多い。そこで当社としては、同じような市場を狙っても「厳しい」というのは分かっていましたから、従来とは違うアプローチで競争しようと考えたのです。

 ――それが若い世代にも受ける「新しいかりんとう作り」ということへとつながったわけですね。

 佐藤 米菓と兼任ですが、デザインと技術から人を集めて、4名でチームを作りました。昨年の秋のことです。早速、マーケティング調査に入り、10月と11月の2か月で具体的なコンセプトをまとめていきました。そこで明らかになったのは、いまの若い人たちはかりんとうの美味しさは十分に認めても「自ら手に取って買うことは決してしない」という事実でした。

 ――それを受けて市場に投入したのが冒頭に紹介した『ミックスかりんとう』などの新製品ですね…

【続きは2020年新年特大号 5444号 29頁へ】

 

写真右が佐藤博久本部長。左が玉川勝之・執行役員生産部長。今回の生地工場の設計段階から関わった。