ドリーム・カムズ・トゥルー! 『TOKYO CACAO』 平塚製菓

 平塚製菓(埼玉県草加市、平塚正幸社長)は10月24日、渋谷ヒカリエ8COURT(都内渋谷区)で『TOKYO CACAO』の商品発表及び試食会を開催した。同社は「東京産」のチョコレートを目指し、2003年から東京都小笠原村の母島で、カカオの栽培計画「東京カカオプロジェクト」を開始。史上初めて東京で栽培したカカオ豆からチョコレートを作り、『TOKYO CACAO』として製品化に成功した。

 平塚正幸社長は、「経営者であるからには、会社の成長は欠かせない。一方で、月並みな表現だが、夢を見たり、不可能なことへのチャレンジも忘れてはならないと考えている。今回のプロジェクトは経営者としてではなく、チョコレート屋のオヤジとして夢を見ることから生まれた取り組み。最初は自分一人の小さな夢だった。次第に大勢を巻き込む形となり、本日を迎えることができた」と、冒頭に熱い思いを語った。

 日本でチョコレートを長年作り続けてきたメーカーとして、「やってみたい」と強く思ったのが国産カカオの栽培。赤道を挟んで南北緯20度以内の、通称「カカオベルト」と呼ばれる地域でカカオは栽培される。年間平均気温27℃以上、年間降水量1000mm以上の熱帯で、しかも気温差が少なく、水はけが良くなければならない。なるべく条件に近い候補地として沖縄県も当初含まれていたが、検討を重ねるうちに平塚社長の夢は膨らんでいった。東京都の小笠原諸島で成功すれば、Made in TOKYOとして世界に日本産カカオを発信できる、と。

 しかし、国内での栽培は何もかもが手探り状態で、失敗を重ねる日々だったと言う。輸入の前例がなかった生カカオを入手し、そこから種を取り出して畑に植え、発芽したまでは良かったが、全てが原因不明で枯れてしまった。やはり日本では無理なのか…。プロジェクトの存続自体が危機となった時、母島で初めてマンゴーの栽培に成功した折田農園経営者の折田一夫氏と出会う。折田氏とともに計画を策定し直し、土壌作りの重要性とハウス栽培の可能性に気づき、ようやく現在の栽培技術を確立した。台風21号が小笠原諸島を直撃したこの日、発表会には折田農園から一夫氏の息子、折田雅敏氏が参加し、製品デビューを見届けた…

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平塚正幸社長(右)と折田雅敏氏(左)