室町時代の後期に京都で創業し、500年の長きにわたって和菓子屋を営んでいる「虎屋」。伝統を守りながらも常に新しいことにも挑戦し、色褪せることなく開花し続ける同社に今年6月、若き社長が誕生した。18代・黒川光晴氏(35歳)である。父で前社長の17代・黒川光博氏(現会長)から何を学び、何を継承し、そして、これからの新しい時代に向けて何を見据えているのか。光晴氏の幼少期からの話も交えながら、同社の「おいしい和菓子を喜んで召し上がって頂く」という経営理念のもと、常に一流であり続ける秘密を探った。
くろかわ・みつはる 2008年、米・マサチューセッツ州バブソン大学経営学部卒業。同年、虎屋入社、東京工場製造課で菓子製造に従事。2010年、仏・パリ店勤務。2011年、他社にて研修。UAE、サウジアラビア、シンガポールなどで貿易関連業務に従事。2013年、社長室、TORAYA CAFÉ事業部などを経て、2016年に専務取締役、2018年に取締役副社長、2020年6月29日に代表取締役社長に就任。1985年3月13日生まれ、35歳。
父親への憧れ
老舗の和菓子屋の長男として、生まれながらにしてほぼ将来が決まっていた光晴氏だが、そうした自身の運命を意識したのは、早かった。
「姉が2人いる3人兄弟の末っ子で、私は父が42歳の時に生まれました。祖父(16代・光朝氏)ともかなり歳が離れていたので、時代の空気感としても“長男が跡を継ぐもの”という気持ちが、特に祖父は強かったと思います。そのことは、私が小学校に入学する前から言われていました」
自分の進むべき道を自然に受け入れられたのは、父への憧れもあった。
「子供の頃から父を尊敬していて、“かっこいいな”とずっと思っていました。小学生の時に覚えているのが、“父と同じ学校に行きたい”と言ったり、周りから“(虎屋の)社長になるんだよね”と言われ、自分でも“なりたい”と思っていました」
もちろん、和菓子が大好きだということも大きい。
「日々、菓子に囲まれながら生活していて、年中行事など事あるごとに食べていました。父が洋菓子も好きで、幼い頃、外食の後には必ずアイスクリーム屋さんに連れて行ってくれました。とにかく、菓子全般が好きなんです。そんな中でも、虎屋の和菓子は美味しいなと、ずっと思っていました」
お菓子に限らず食べることが大好きで、好き嫌いもほとんどない。
「ピザもパスタもトンカツも、何でも食べます」
だが、食べ過ぎには注意している。
「ランニングなどの運動をしたり、食べる量をコントロールしたり。菓子の試食も仕事の一つですから、気にせず食べていたら、大変な事になってしまいます」
大好きな仕事を大切にしているからこそのストイックさを感じるが、そこに無理は感じられない。自然に身についたことなのだろう。
▲ TORAYA CAFÉでは『あんペースト』を使ったパンやパフェなどを提供しており、餡子をより身近に感じてもらえように工夫を凝らしている
自問自答して納得
決められた道に対して、反発心が芽生えるようなことはなかったのだろうか。
「強制されていたわけでは全くないのですが、多少の葛藤はありました。誰しも、やりたいことは自分で決めたいじゃないですか。“自分は何でこれをやりたいのだろう”と自問自答しました」
『虎屋が好きか』→『好き』。
『菓子が好きか』→『好き』。
「やりたいということを再認識し、最終的にブレることはなかったですね」ときっぱり。
自らの意志で納得して歩んできた。虎屋を継ぐというビジョンのもと、自分で進路を決めてきたことにも、それは現れている。
「学習院の小学校・中学校に通い、高校・大学は米国に行きました。一番上の姉が中3の頃に英国に行っていたので、それに刺激を受けましたし、行かせてもらえるという恵まれた環境もありました」
大学では、経営学を専攻した。
「社長になるのであれば、経営に加え、何かしら特技や経験を持ちたいと考えました。米国への留学は語学や学問を学ぶだけではなく、一つの文化的な経験になり、プラスになると思いました」
▲2018年10月にリニューアルオープンした赤坂店
厳しい現場を体験
大学卒業と同時に虎屋に入社したが、思い描いていたこととのギャップや戸惑いはなかったのだろうか。
「高校から大学まで、夏休みには工場に入って、現場の人達と一緒に菓子作りをさせてもらっていました」
そこでは、菓子作りに関しては、社長の息子だからという忖度は全くと言っていいほどなかったらしい。
「菓子作りの世界に入ると、職人は、いかに品質の良い菓子を作るかに集中しています。仮にミスをして形や味が崩れたりしたら、単純に〝それはダメだ〟となります。〝ちょっと失敗したけれど、上手だね〟とはさすがになりません。そこはとてもシンプルでした」
入社して2年後の2010年には、フランスのパリ店に勤務。その1年後には貿易会社に勤務し、UAE、サウジアラビア、シンガポールなどに駐在した。
「東南アジアと中東エリアは個人的にも興味のあるエリアでしたし、扱うのは食品ではなかったのですが、とてもいい経験になりました」
2013年に虎屋に復職してからは、トラヤカフェの事業等に携わった。
「トラヤカフェは、現会長(光博氏)がスタートさせました。和菓子の小豆や寒天などの植物性の素材に、チョコレート、乳、バターなど洋の素材を組み合わせた新しい菓子にもチャレンジしたい、という思いがありました」
2018年10月には、赤坂店をリニューアルオープンした。
「建物が50年以上経っていて老朽化していたので、耐震補強もあって建替えました。和菓子屋として必要な機能のみに特化した低層の建物としました。出来立ての菓子を味わっていただくためにも製造場を同じ建物内に作り、製造現場をガラス越しに見ていただくことができる。そこにこだわりました」
全面のガラス窓から自然光が入る店内は明るく、吉野の檜の香りに包まれている。一歩足を踏み入れた途端、その木のぬくもりに癒される感覚がある。
「建築家の内藤廣先生に設計をお願いしました。グローバルな世の中だからこそ、来てくださった方に〝和〟の良さも感じていただきたい。本当は木造建築にしたかったのですが、目抜き通り沿いということもあって、耐火・耐震の問題でさすがに無理でした」
▲今年10月に40周年を迎えたパリ店
昨年から打診が
社長就任に際しては、昨年から打診があったという。
「父に、“来年くらい考えておくように”と言われました。父は今年で77歳です。まだまだ元気ですし、正直なところ、あと20年でも30年でもやってほしい。でも、自分がその年齢ならそろそろ引退を考えますよね。いつでも出来るという覚悟は、ある程度は持っていました」
約1000人の社員を率いることになったが、「社長はあくまで1つのポジションに過ぎません。こうして、取材で会社の思いを代弁させていただける部分はあります」と、自身の立場を謙虚に受け止める。
何よりも一番大切にしていることは、「菓子の品質と、社員の生活です。これは会長ともよく話していることです」
「自分達の仕事を突き詰めていく中で、時代を越えて品質の良い菓子を作り続けていれば、そこには必ずニーズがあります。そのこだわりをどう表現していくかは、その時代時代の感性ですね」
社員との対話にも心を砕く。
「1000人は決して少なくない人数ですが、顔を突き合わせる機会は意外に得られます。この十数年は、製造現場に入ったり、お店を満遍なく巡っています」
利益を出すことはもちろん重要だが、それだけではない。
「大学の経営学では、“利益の最大化”を学びましたが、虎屋では品質を最大限に引き上げるために何が出来るかを常に考えています。周りと協調しながらサステナブルに物事を進めていくことを大事にしており、それは品質にも繋がります。“利益の最大化”を求めるのと“最高の品質”を求めるのとでは、内容が変わってきます」
500年続く歴史の中で、守るべき伝統の一つが“品質”であるのならば、未来を見据えて変えていくべき部分もあるはずだ。
「製法にしても原材料にしても、こだわり過ぎる必要はないと思っています。ある時代に良かったものが、別の時代には良くないという風に全く変わってしまうことがあります。盲目的になって変化を見過ごしてしまうと、発展性がなくなってしまいます」
「流通技術も向上し、昔なら手に入らなかった素材が良い品質で手に入るようになりました。その素材で菓子を作った時に、お客様が喜んでくださるのであれば、そこはドンドン変えていっていいことの一つですよね」
「一方で、変えないという意味でいうと、当店には長らくご愛顧くださっているお客様がいらっしゃいます。作っている側にも当然思い入れがありますが、それは自分達だけではない。お客様を大切にするためにも、無理に変える必要はないと思っています…
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