匠の心と厚い「感謝」の思いが成長発展の原動力に
ひと粒から始まる夢とロマン…。1927年(昭和2年)の焼菓子での創業以来、日本伝統の味にこだわり続けてきた丸彦製菓は、関東米菓を代表する国内屈指の米菓メーカーである。創業者で父の哲蔵氏の事業を引き継いで、およそ40年もの長きにわたり同社の発展を牽引してきた山田行彦会長は、いわば「第二の創業者」とも言える大きな存在だ。その会長は昨年末、息子の邦彦氏に社長の座を託した。同社発展の軌跡を辿りながら「未来の丸彦のカタチ」がどう継承進化されるのか、取材した。
丸彦製菓株式会社 山田行彦会長
弛まぬ探求心と匠の心が生むハーモニー
米菓の原料はいうまでもなく「米」である。その一粒一粒は小さくても幾百幾千と集まると、それは形を変えて、あられやおかき、煎餅となる。
もち米が原料のおかきとうるち米による煎餅。この両方を「美味しく」創りあげる丸彦製菓の技術力の高さ。その源泉はブランドメッセージである『匠の心』による徹底したこだわりだ。丸彦製菓の神髄はまさにここにある。丸彦製菓がつくる米菓の美味しさを表現する際、よく言われるのが、食べ終わっても、もう一つ食べたくなる「残り味の余韻」だ。その美味しさの秘訣は山田行彦会長が辿ってきた「米菓づくりの心」と弛まぬ探究心にあるのだろう…
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三代目邦彦社長が描く「丸彦」の未来展望
山田邦彦社長は1971年(昭和46年)生まれの現在48歳。満を持して昨年12月1日に社長に就任した。会長も認める「味覚のセンス」をもつ邦彦社長が描く丸彦製菓の「未来予想図」とはどのようなものか。話をきいた。
“お菓子の産湯”から始まる私の丸彦人生
産まれた時から私の周りは、おかきやお煎餅でいっぱいでした。物心がついた頃の父の印象は、いつも作業服に身を包んで、忙しそうに生産現場を歩き回る姿です。その印象がいまも強く焼きついています。祖父、父に流れる共通の「血」を感じるのは「美味しさを求める徹底したこだわり」という点でしょうか。社長就任以前から、他に真似のできない美味しい製品づくりこそ「丸彦製菓の命だ」と思ってきたのは、そうしたDNAのせいかもしれませんね。
父が丸彦製菓を米菓メーカーへと大転換させた1964年(昭和39年)に東京オリンピックが開催されるなど、当社は時代を彩るエポックメーキングな節目とともに発展してきました。奇しくも私が社長に就任した昨年は「平成から令和」へと移り変わる御代替わりの年で、運命的なものを感じるとともに、責任の重さを痛感しているところです…
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写真上=山田邦彦社長(左)と行彦会長
■プロフィール 山田邦彦〈やまだ・くにひこ〉
71年生まれ。九州出身の担任教諭の勧めで高校卒業後は熊本の大学へ。機械工学専攻。大学卒業後は縁のあった「もち吉」へ就職、2年間勤務。その後、経営者としての教養と知識を学ぶために、会長の肝煎りで中小企業大学へ。98年、丸彦製菓入社。製造畑を中心に歩む。平成12年に専務取締役、昨年12月より現職。
◀︎3月から市場に投入した新製品『おてがる腸活おかき』
『匠の心』が息づく丸彦製菓の製造工程をみる
『匠の心」の製造現場
洋菓子も掌中! 鬼怒川・お菓子の城を自社ブランドに!
山田邦彦社長の肝煎りで2018年、丸彦製菓は日光市で「鬼怒川・お菓子の城」を運営する亀屋菓子本舗を友好的に買収。山田社長のフロンティア開拓の一環だ。これにより、丸彦製菓は米菓のみならず、洋菓子・和菓子のノウハウも獲得。この先にあるシナジー(相乗効果)がどのような果実をもたらすのか、注目される。
ここは日光市自慢の“お菓子のエンターテインメントスポット”
丸彦製菓本社の1階・2階フロアにある直売店「名水の郷 日光おかき工房」。テニスコート2面分は余裕にとれるほどの広い1階の販売スペースには、単品、詰め合わせ、徳用(こわれなど)、定番ギフト、匠の心シリーズといった丸彦製品がところ狭しとずらりと並ぶ。日光市屈指の観光スポットであり、土日はもとより、平日には大勢の”丸彦ファン”が全国からやってくる。広大な駐車場は大型観光バスなどでいつも満杯だ。撮影が2月末なので、この時点でコロナ騒動の影響が出ており、普段よりも人が少なかった。
丸彦製菓沿革
1927年 初代山田哲蔵が宇都宮市元石町で山田製菓を創設。焼菓子の製造を始める。
1964年 米菓(あられ)製造に転換し、一大発展を期す。
1968年 資本金300万円にて有限会社丸彦製菓に改組。
1970年 宇都宮市今宮に工場を移転。
1971年 業績進展に伴い、工場を拡張し、増産体制確立。
1979年 資本金900万円に増資。コンピュータシステム導入で業務の近代化へ。
米菓業界初の「栃木県経営合理化モデル育成工場」となる。
1981年 創業者山田哲蔵が会長に、山田行彦専務が社長に。
1083年 資本金3000万円にて丸彦製菓株式会社に改組。
栃木県より「技術交流プラザ」の一員に指定。
最新鋭の新工場竣工。丸彦会発足。
2000年 本社社屋と宇都宮市内の3工場を集約し、現在の日光市芹沼に移転。
「名水の郷~日光おかき工房」と命名し、そこを製造・観光工場として
位置づける。
2006年 創業80周年。宇都宮市内の「うるち工場」を日光市に移設。
日光工場と新庄工場の2工場体制で、もち製品、うるち製品、
揚げ製品の生産にあたる。
2008年 天然ガス装置を設備し、二酸化炭素(CO2)を25%削減へ。
2011年 揚げ製品工場の新庄工場を本社へ統合。
これにより米菓製造のすべてを集結。
2013年 太陽光発電装置を工場3棟の屋上に設置、さらなるCO2削減へ。
2014年 包装ラインにおいて本格ロボットシステム導入。
2015年 日光市手岡に約6万3000平米のメガソーラー装置を設置。
2016年 山田行彦社長が長年にわたる米菓業界での貢献により、
春の「黄綬褒章」受賞。
2018年 「鬼怒川お菓子の城」を運営し、洋菓子も手がける日光市の
亀屋菓子本舗を買収。